「キミは変われっこないよ。ねえもうボクだけ見ていればいいじゃない彼はベルの王になったんだし」
あのとき直哉の目には何も彼も虚ろだった。
首輪をつけられ猿轡を噛まされ皮に痕を残す鎖が纏わりついていて誰が立方体を捉えられるというのだ。そういうことを言っているのだ。ほかの誰にも解らない思惑と情操の鎖は重苦しく直哉を苛んだ。生きることを選んだとき、厭世かと思われていた鎖は世界や生涯という正体を現した。直哉は生きることを強くのぞんているのに、生きることを保証されることも、生きることを意識することも、今は望んでいないのだ。それは恐ろしいから。
復讐の道程を辿る今、生きるのは一層つらくなった。最早嘆き戸惑うことは許されない。来世を想い寂寥に染まることも、前世を顧み憎悪を燻ぶらすことも、物狂わしい原初を追想することも、足を踏み出し目線を定めた今の自分に似つかわしいものではなかった。
知ってからは幾ばくか楽になった。それは自傷に似ていた。
「出産関係の悪魔にみてもらうまでもないわ」
輝ける女神が言うと青い魔王は目元を和らげた。
「ほんとう?」
「はい。子供は順調に育っていますよ。初めての出産ではないのだし大丈夫でしょう。そうよね、ロキ」
「、うん」
アマテラスの言葉に安堵した風のロキが頷くと魔王は漸く笑った。
「楽しみだな。オレより若い悪魔っていないし」
「弟が欲しいのかい」
「そう。だけどもう少し末っ子でいたかったかなーもっかいお年玉ほしいし、」
そこまで言って、魔王はふと直哉の方を見た。
「でもやっぱり弟のが欲しいな」
「生きてるキミに、弟がねえ」
ロキが失笑しアマテラスは常の笑みを深くしたが魔王も意味を解した風に小さな唇に微笑を湛えた。直哉にはあの青い目が真剣味を帯びた気がした。
白いカーテンが優しく揺れるのに合わせて、清潔な黒いマントがはためく。
「ちゃんと産んで、育ててよ」
「ありがとうね魔王さま。キミがいるから、ボクは安定できる」
綻ぶ。咲う。どの機能も直哉には備わっていない。自分以外の誰一人毒のある顔をしていないのが腹立たしく情けなかった。
間もなく魔王は部屋を出て行きアマテラスに促された直哉も部屋のドアに目を付けた。
直哉くん、と、ロキが歪んだ口を裂いた。直哉はそれを合図に踵を返し背後から次の言葉を聞く。
「愛してるよ。パパ」
ドアノブは容易に回った。
「ナオヤは何を考えてるんだかわかんないよね」
部屋を出るに右手の気配が声をあげた。
「最初は子供のほうにオレを見させるつもりかと思ってたけどオレに関係ない意図だったんだね、おれのせいでナオヤは呪われているのに、どうしてオレに関係ないことをするの?」
はじめからわかっていた。弟は直哉の薄い影を踏みつける。
「、そんなことを思わないでもないんだよ」
魔王が黒い影を揺らして遠ざかり角を曲がるのを見届けて直哉は部屋に逆戻りした。
言い訳をする前にアマテラスは無言で去り再び直哉を認めたロキはいかにも無邪気に笑った。肩に縋りついた直哉をロキは言葉もなくあやした。この部屋にはシャワーもカーテンもタオルもベッドもアルコールもあるのに直哉にとって大切なものはなにもない。
湧き上がる感情も衝動もすべて打ち消す微笑みに頼りきる体を一人で支えることがもうできないからそばにいて欲しいのに、直哉の方から遠ざかっていく。依存する自分をとがめそこねたから、離れられないのに離れるときを伺っているから。
生きた証などではなく死の恥辱を残しているに過ぎないのだ。それは解っている。
明日の己の位置が不確かなのに今生の満足を求めている。繋がれているほど死ぬのが怖いのだ。繋がれているほど生きるのが怖いのだ。繋がれているから、その上でどこかに助けを求めることはできないのだ。繋がらないままでは安心できないのにそれさえ恐怖だ。言いようのない身の不安の遣る瀬を見つけられないまま高層の窓辺は冷えていく。
自分は只今この時に生きた痕を残すことに憎悪と恐怖を抱いているのだと薄く察しているにも関わらず、直哉は今胸中を暗く浸す感情の最たる原因たるロキから離れられないのだ。自立は入水と同義だが、寄生は絞殺に他ならない。一から十まで解っている。
「ナオヤくん、ねえ、怖い顔をしないで、」
目を上げると、黒い睫毛が音もなく笑った。
「名前をつけましょう」
カラフル
直哉さん燃え尽き現象説・直哉さんかわいそうな旦那説・直哉さん情緒不安定説。というジャストジョーク。わりと直哉さんを独占したいけど自分はミーハー的なロキのおかげでバリバリ壊される直哉さんもおいしいですねってアマテラスが言ってた。
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