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2025/04/20  [PR]
 

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そのときあなたは憮然とした表情をしていて、わたしは震える手足を羽織りに隠して「わかった」とだけ言った。
何を解ったつもりでいたのやら。あなたとの共謀の終焉にまで考えが及んでいたのであろうか。
ともかくわたしはすぐに部屋を飛び出し人も悪魔もいない地獄のような路地の隙間を埋める赤い空を見上げた。ぼんやりとした不安はいつしか激しい恐怖に変わり、アスファルトに散らばったガラスの破片から適当なのを選び二の腕辺りに狙いを定めて振り下ろした頃にあなたはやってきてわたしを正面から抱き締めた。わたしは傷だらけの指先であなたのスーツの背をくしゃくしゃにした。あなたは笑わなかった。わたしを安心させるようなふれあいであやした。あなたの腕に絞め殺されたかった。けれどある明確な理由から、あなたにすべてを委ねきれなかったわたしは裏切った弟の許を目指そうと決めた。裏切ったというのもあまりに自分勝手な物言いで嫌になった。それは弟に執着する体裁を見栄と下心という薄汚い感情のために保つ最後の儀式であった。また最後まで自分の責任を弟に押し付けようという後ろ暗い企みであった。どうか絶望と幕引きを。





パラレル・ブルー





翳された瞬間、頬を掠めた温度でもうその腕はあなたのものと解った。力強い腕はわたしを捕らえて、背後から抱き込まれたわたしはもう一歩も進めない。
真っ暗の空間に心音だけが聴こえている。
この塔の遙か高みで弟たちは今尚死闘を演じているのだろうが、わたしにはもうあなたの体温しかわからない。
階段の踊場だけが永遠で、あなたの腕の中が世界のすべてのように思えた。
それは幻想。
「こんな所を通って、どこへ行こうというの」
慣れ親しんだ声が全く違う色彩を帯びていてもわたしの答えは淀みない。
それは何度も自分で自分に問いかけた言葉だったから。
「弟の所へ」
わたしの首に絡んだ腕がぎしりと鳴って、わたしは思わずその紫色を掴んだ。
馬鹿正直に答えたわたしに腹をたてた訳ではないと解っているのに、今はあなたの腕が怖かった。そして怯える心をいま頼りない指なぞであなたの前に曝けだしてしまった。
わたしの腕など比べものにならない、絶対敵わない力をあなたは男性の形をしているというだけの理由で持っている。惰弱な力でとんだ高望みをし続けているわたしを暴かないで。
「それは弟くんを憎んでいるから?愛しているから?こうなったら行っても行かなくても同じだろうに。結局、会いたいんでしょ?弟くんが大切なんだよね。弟くんが、大切、なんだよね…」
弟は途中から半ばあなたに近付く手段であったことなんて言わないけど、ここにあなたがいれば手段も結果もどうでも良い。ここで終わって終いたい。
幾ら心の内で叫べど最早あなたには伝わらない。それでいいのにあなたの指を心待ちにするわたしは本当に浅ましい。
息をすっかり吐きだしたらしいあなたはわたしの耳元で呼吸をした。最初は荒く苦しそうに、やがて静かにゆっくりと。
ざらりと耳に残るその吐息に、いくつかの目覚めが目の前に蘇る。
一面群青色の窓の外の風景を横一直線に切り裂く鮮烈な朝も、濡れた髪の向こうに透けるしらじらとした曙も、光るシーツに引き戻された夜明けも、二度とやって来ない。
「…それにしても、随分とおもしろくないようにしてくれたよねえ」
あなたはくく、と喉の辺りで笑ってみせた。声を出すことに疲れたように。
「俺がしたんじゃない」
「でも君のせいでしょう」
回された腕を未だ掴んでいたわたしの指が無様に跳ねる。息を飲んだ音だって聞こえてしまったに違いない。逸るばかりの心音もあなたの胸部に収まった背中から伝っているだろう。
ここまで来て、あなたに失望されるのをも怖れている自分など知りたくない。
わたしなど行き詰まってしまえば唯の女だと悟りたくない。
「全部忘れて僕のものになっていたら、幸せだったのに」
わたしの後頭部に触れているその口を開けるのを、あなたが躊躇しているのがわたしにだってわかってしまう。
いつもみたいに遠慮なく傷つけて気付かせないままに突き放して希望なんて根刮ぎ奪い去ってくれないと、期待を潰しきれないよ。
口を開けど声が出せない自分が情けなくて時間を制したいと思った。
「、なあんちゃって」
最初から決まっていたような調子で、なめらかに言葉を吐き出してあなたは手をほどく。
そんな言葉じゃ足りない。迷いなく離れたその腕の形をわたしの指がなぞる。感覚が体の中に縮こまる。すべてが閉塞していく。
わたしが本当にただの女だったらあなたの腕のなすがままにされていられたのに。
わたしは自然と兄だった、だから、あなたがわたしに優しくしてもすべてを押しつけることはできない。あなたの望むであろう通りにはあれない。
それは裏切られても傷つかない為の保険でもあり、わたしはまた身を凍らせる。
そうだから、わたしはあなたより弟を選んだということになるのだろうか。
殺されるなら弟がいいと叫ぶ自分がすべてなのか。
いいえ、
わたしはあなたと生きていたかった。
あなたの深い色をした目の中にだけ、安らぎと物欲しさを感じた。
すべて刹那だと笑わないで。
わたしはあなたと生きていたかった。
あなたに許した心の部分が尽きるくらいに好きだった。
わたしがわたしであるうちはずっと、あなたと生きていたかった。もっとちゃんと伝えて叫べばよかった。一度も言えなかったのは、罪深いわたしの脳裏にいつでも弟がいたからだと解っていた。そうなると段々弟がうとましく思われてきて、それが嫌で、わたしとあなたの関係はいつだって有耶無耶だ。それすらもう過去のこと。
わたしは本当だからもうわたしを疑わないで。
自立していたはずなのに、声を聞いただけであなたを拒む壁が失せてしまったのもあなた故。あなたが思っている以上にわたしは甘い。それも本当。
掻き乱されてしまった心でどうやって弟を殺すのか。考えるのを止め唇を結ぶ。
自らを嘲笑うことをも忘れたまま、生半な決意を頭に貼り付けて階段を踏みしめる。
振り返ることはしない。
仮令あなたの言葉が真実だった所でわたしはもう止まることができないのだから。





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