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2025/04/20  [PR]
 

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予見の才とは便利である。
予見の才を持っているということは便利ではない。
ひとつの行動に至るまでの意図が人の色々な状況や側面を伝える。
それが哀しい。
行動自体はうれしくても意図のひとつがわたしに心苦しい物だったというのはよくある話。
だからこそ何にも本当に喜べない。
そのような自分を思い虚しくなることこそ最も哀しいことに違いはない。

そこまで考えてわたしは歩みを止めないままに唾を飲んだ。
この先の角を左に曲がってしばらく歩いた先の路地に潜んで息を詰めて悪戯心を持て余しているだろう彼の存在を、わたしは知っている。
なのにどうして足は止まらないの。どうして脈が早くなるの。
いつものようにするなら簡単で、このまま角を右に曲がり素知らぬ顔で家へ戻ればいいと分かっている。
しかしわたしの足はうまく左へ九十度回転。調子に乗って止まらない。
けど、
けれど、そう、そして、
わたしは知っている。
わたしは自らの哀しい才によって知らされてしまっている。
彼ほどの者がわたしなどに簡単に気取られるということは、つまり、彼にとってこの世界は、ある程度、どうだっていいということなのだ。
目頭をつんと刺す痛みは、そういう所以を持って生まれてきたのだ。
わたしは彼にとってある程度どうでもいいことのひとつである他ない。
それでも彼に近づく方の道を選んだのは誰だ。
目汁なぞ落とすな。
憐憫されて同情の様な愛を授かること、或いは転生の悲しみによる妙な癖があると思われること、どちらも大層いとわしかった。
ああもう脳の神経なぞ壊れてしまえ死んでしまえ千切れてしまえ。目の前にあるのは余計なことばかり!
彼に近づく方の道を選んだのは誰だ。
あの計画において彼に少なからぬ役目を押しつけた訳にすら、ただ彼に近づきたいという、呆れるほど純粋であさましく必死な思いも含まれていたのかもしれない。わたしは自分をあざ笑った。
わたしという女は、反吐が出るような一人問答を何度繰り返すというのだ。下らぬ。全部下らぬ。目の前にあるのは無駄なことばかり。


そのとき、
念願の手が後ろから伸びて来たかと思うと刹那、路地に引き込まれていた。
分かっておれど抗えぬ腕のたくましさ。
「ナーオヤくん。つーかまーえたー」
首と胴には腕。左右には足。頭上からの声。
引きつる呼吸。高鳴る鼓動。ギンギンという耳鳴。
わたしは彼の体ですっぽりと覆わるらしい。熱を感じる。後頭部の当たるのは胸板なのだけど、わたしの首にはしっかと彼の右手が絡んでいるから容易に振り向けない。
わたしは夢見心地で息をした。

「ねえ弟くんの調子はどうだったの?」

「…悪くない」

「そりゃ重畳。早く直に会って話してみたいなあ」

こうも彼がわたしの気持ちを微塵も汲み得ぬ事実こそ、彼の哀しい無関心の証明ではないか。
わたしは忘れていたかったのに。
忘れていたのに。
忘れても構わないと思われるのは生涯で彼に触れているときだけなのだと、今更のように自覚し、苛々した。
 何を期待していたの。

「いやあこうしてみるときみは随分小さいねえ」

「ロキ」

「ん?」

「俺は、     」

そして、わたしはすべてをわかった上で、あさましくも嘘まで使い、寂しさ故に真剣に、儘と彼のふざけた暇潰しに捕まったのである。

梅雨はもう明けるという。



キネマ





はたしてこれは萌えとかそういうものなのだろうか。ときめきに偽りはないのですけども。
神谷さんの声をきいたらナオヤが女の子にしか見えなくなってきた。もやもや…むらむら…
因みに身長はチャラ男185、ナオヤ168くらい希望
なんか一葉とか乱歩を読んだあとにかいたみたいですね何てわかりやすいんだわたしという奴は。
路地裏から主人公たちを見ているイメージからナオヤはよく路地裏にいそうなんだ。チャラ男も。日陰の男(笑)
BGM/絶体絶命
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